全国大会「鹿児島大会」と 支部研修旅行

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全国大会「鹿児島大会」支部研修旅行・道中記

しょういち的こころ

 建築士会全国大会は令和元年(2021)の広島大会はオンライン開催となり、秋田・静岡とバスでの研修旅行でしたが、今年は新幹線・電車・モノレール・飛行機・バスと乗り継いで鹿児島をめざします。

 縄文土器に魅せられて、土器の文様分析から建築設計に足を踏み入れた経緯から、僕は「縄文」用語に過度に反応します。最近、日本人のDNAの研究から、とりわけ縄文人の要素が多いのが東北と九州南部であることが判ってきた。何故か美人が多いといわれる地域と合致する。船を介した文化も根付いています。筆者は弥生系要素が多いので、この研究成果から外見の共通点が見つからず残念。

 そんな縄文人のDNA値の高い南九州にて、もえよ!建築維新たぎる地で築くみらい「鹿児島大会」支部研修旅行が令和6年10月24日(木)~26日(土)に開催されました。
旅の一番の楽しみは仲間と歓談しながらの飲食や買い物、街歩き探訪ではないでしょうか。 
 街をめぐるとき(徘徊ではありません)は五感を働かせますが、事前にそこで暮らす人々、人情・地理や歴史を知るべく時間軸を加えて訪れると感動は倍増します。

 鹿児島(薩摩)といえば桜島・薩摩芋・さつま揚げ・黒酢・黒豚・薩摩焼・島津家・郷中教育・篤姫・西郷隆盛・明治維新・東郷平八郎がよく知られています。
 俳優の榎本孝明・沢村一樹・稲森いずみ・桜庭ななみ・上白石姉妹、歌手の長渕剛・SAKURA(宮脇咲良)、《おっと島津亜矢は熊本出身でした》サッカーの遠藤保仁・バレーボールの迫田さおり選手も有名でみんな美男美女です。(あれ、建築物には触れないのかい)

 序文が長すぎました。24日、朝6時20分:集合時間の10分前に長野駅新幹線改札口前に到着すると参加者18名が勢ぞろいしておりました。僕が最後の19人目です。(何か変な予感⇒後で記事を書くことになった)
 参加者の中にはご夫婦で参加される方や、姉妹で参加される方もいて、支部の研修旅行の方向性を予感させます。家族参加がこれからの良い流れだと思います。
 あらゆる交通手段により鹿児島県指宿に到着しました。これから薩摩の厚い・熱い・暑い・燃える・萌える(悶えてはいない)研修旅行が始まります。

 初日の宿は砂被りで有名な砂蒸し温泉:白水館です。
 白水館に入館しロビー横の休憩室で入館説明が行われているのですが、おもてなしの薩摩焼酎に舌鼓を打っている御仁がほとんどです。(筆者も例にもれません)
 入室してから白水館横の薩摩伝承館に見学に行くグループと、早速に砂蒸し温泉を経験してみるグループに分かれました。砂蒸し温泉は熱砂のサウナですから飲酒後に入る訳にはいかないので宴会前に入るか、明日の朝入るか二者択一です。
 白水館は指宿を代表するホテルで唯一屋内に砂風呂を擁しています。このホテル以外の指宿旅行者が入浴することができる砂風呂は海岸沿いにあります。24日は小雨模様の天気でしたので参加者全員、ホテルの砂風呂を利用しました。
 夕食(懇親会)は長旅の疲れを癒す豪華な鹿児島料理が並びました。その後、猛者の方々は地元の人々との交流を深めるべく館内のスナックへ。

  25日、僕は参加者の皆さんにお願いして、別行動となる予定でした。指宿市内にある日本百名山の開聞岳(924m)の登山予定で準備を整えてきました。朝、指宿から開門へ向かう電車に乗るため5時に起きて指宿駅に向かいました。

 宿を出た時点で小雨でしたが駅に着く頃には本格的に降り始めました。行くか戻るか迷った末、その日の開聞岳登山をあきらめて白水館の戻る決断をしました。(この時点で歩数計は10,000歩超)駅からの帰り道、だんだんと明るくなる指宿の街を散策していると奇抜な宇宙船を思わせるような近代の文化遺産である鹿児島県高齢者交流センターの「ふれあいプラザなのはな館」が見えてきました。設計した高崎正治さんは建築雑誌「新建築」のコンペでアーキグラムのピータークックに見出されてロンドン・AAスクールで学びました。その建築の迫力には圧倒されます

開聞岳

見聞録1:
AAスクールの卒業生では東京オリンピックの新国立競技場の設計者のザハ・ハディド(女性)さんが有名ですね。その大胆で奇抜な施設は大人の事情で実現しませんでした。完成すれば遺作になったのに残念でなりません。
また東京オリンピックのエンブレムコンペでは電通の出来過ぎレースを跳ねのけた「組市松紋エンブレム」で当選した佐野研二郎さんもAAスクールです。

 雨のおかげで皆さんと一緒に知覧武家屋敷庭園群(重伝建地区)と知覧特攻平和会館を見学しました。知覧武家屋敷庭園は江戸時代にタイムスリップしたような景色が広がっていました。もちろん電柱などありません、通りからは石垣とイヌ槙の生垣と家の門しか見えませんが、一旦、門をくぐると中には目を見張る庭園がひろがっています。そして道路よりも3尺以上階段等で高く造成されています。これは家の中に水分が籠らない工夫だそうです。(ですが池のある家が多いのはなぜ?松代の泉水とは違うようだ)武家屋敷なんだけど、風流をコヨナクめでた為でしょうか。

知覧武家屋敷庭園群

 続いて、さきのパリオリンピックでメダリストになった卓球女子の早田選手が会見で感謝の報告に行くと告げた知覧特攻平和会館も訪れました。
 研修旅行のツアーコンダクターM川さんの手配でしょうか、「語り部」が太平洋戦争の戦闘機:隼(レプリカ)の前で「ながの支部」の皆さん「ようこそ」と「飛行学校から特攻基地へ」のお話をしてくださいました。
 語り部のお母さんは女学生のころ特攻隊員のお見送りをされたそうです。真剣に聞き入っていたのですが、この語りの抑揚のつけ方、リズムの良さ、ストーリーの展開の妙は、どこかで聞いたことがあると思い着きました。そうですよ。この語り口は漫談家:綾小路きみまろの語り口そのものです。彼も鹿児島県出身なのです。
 そう言えば我が「ながの支部」にもこの語り部に勝るとも劣らない熱弁家がいることを再認識しました。机を叩きながら「○○ヤロウ・○○言っちゃいけね~」を連発しながらユーモア(ブラックジョーク)をまじえての熱弁をふるう御仁がいるではありませんか。そんなことを思っていたので涙は出ませんでした。

 平和会館を出発してバスは宿泊先のホテル吹上荘へ。大会会場はここから目と鼻の先なので荷物を置いて会場へ。大会会場前で鹿児島の観光大使と一緒に記念撮影をしてから、大会参加グループ、街中散策数グループ、桜島観光グループに分かれて鹿児島市を見学。
 大会会場前では鹿児島の精神文化に大きな影響を与えた、一撃必殺の剣術である示顕流の気迫の込もったデモンストレーションが行われていました。皮肉にも16世紀中頃に薩摩藩の種子島に鉄砲が伝来し、四半世紀後には長篠の戦いから鉄砲が戦の主流となり、明治維新の戊辰戦争では大砲が主流となりました。

大会会場 宝山ホール

見聞録2:
明治維新を決定づけた戊辰戦争の報奨金の分配に係わる注目資料
第1位は島津藩100万石(100億円)第2位は土佐藩50万石(50億円)、そして第3位は、なんと松代藩40万石(40億円)なのです!
幕末、幕府からは佐久間象山に代表される海防係になっていたはずの松代藩は朝廷が錦の御旗を掲げてほどなく鞍替えしていたのです。(身の振り方が早)
※一般か公益かの選択をしていた時、公益法人に舵を切った状況に似ている。

 26日、研修旅行3日目は城山展望台に登りました。(低いけどやっと山に登れた)
今日は朝から雨も上がり晴れ間から待望の桜島がよく見えました。城山は西郷隆盛が自決した場所です。桜島の凛とした姿が西郷さんとダブったのは僕だけではないでしょう。

 一行は 鹿児島市吉野にある薩摩藩主島津氏の別邸:仙巌園に到着しました。庭園、御殿の優雅な風情は流石に江戸時代の禄高が徳川420万石、次いで加賀100万石、その次70万石であった裏付けの豪華さだと痛感しました。驚くのは反射炉や溶鉱炉まで制作していて日本では最先端技術を持っていた証が残っていました。
 仙巌園からも桜島はよく見えますが、今でも活火山です。そして降灰していて島津の農地は肥沃ではありません。なのに禄高が多いのか不思議ですよね。
 本当は密貿易でを育んでいたといわれています。南蛮貿易にて資金だけでなく先端技術や海外の情報も得ていました。明治維新の推進力はここか始まったといっても過言では無いかもしれません。

桜島を背景に城山公園展望台
反射炉跡

 見学を終えたので麹の里バレープラハにて昼食をとりましたが、ここはまさに焼酎の酒蔵でした。例によって綾小路バリの商品説明を聞いた後で試飲しましたが、ここで酩酊するほど飲んだ御仁もいて、昼食はつまみになったようです。
 鹿児島空港に到着し、後ろ髪を(なかったか)引かれながら鹿児島を後にしました。
 鹿児島空港から揺れる飛行機で羽田空港へ。モノレール・新幹線で帰路につきました。
 参加者は訪れる所々で鹿児島県(薩摩)の美味しい食材を頬張り、お土産を買いました。
 会場の出店で食べた薩摩揚げや黒豚、地ビール、会場外のラーメンみんなおいしかった。

 先に触れましたがツアーコンダクターを務めてくれているM川さんには頭が下がります。参加者全員・皆がお世話になりました。ほんとに感謝しています。

見聞録3:
今季の研修旅行の間、僕の耳にはある曲(フォークソング)が流れていた。
曲名は「帰ってきたヨッパライ」。歌詞は最後の方が「鹿児島よいとこ一度はおいで・酒はうまいし・ねえちゃんはきれいだ・ワー」本当にその通りだった。
 僕はお土産を鹿児島市のデパート:山形屋で全て調達しました。第46回の宮崎大会の時に鹿児島で飲んだ焼きイモ焼酎が忘れられなかったからです。2日目に鹿児島カテドラル・ザビエル記念聖堂(ザビエルも鹿児島から日本に入国)を見学した後、鹿児島市の中心市街地見学を含めて長野市権堂の数倍の長さを持つアーケードの中心:山形屋にたどり着きました。
 山形県には南州神社があり、西郷(南洲)さんを敬い南州翁遺訓を発行したくらい人気があり、山形屋の初代も山形県人です。南州繋がりで鹿児島県と山形県は仲がいい。
《来年の全国大会を開催する大阪府建築士会は真田幸村(NHK大河ドラマさなだ丸)繋がりで長野県建築士会と仲がいい……再開が楽しみ》
 山形屋の規模は長野駅前の東急デパートの数倍あり、鹿児島の産物はほとんどあります。ここだと目当ての焼きイモ焼酎があるだろうと赴きました。店員さんは親切で焼酎のほか黒酢、薩摩を代表するお菓子菓を選んでくれました。みんなまとめて宅急便で送るべく他に何を送ったらいいかと尋ねたら「あ・た・い」と茶目っ気たっぷりに返答したかどうかは

…………………明日のこころだ~………………


旅行に参加されたみなさんから 寄せられた写真

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